#27 からまる舌さき(All-New Sandwiches)

さいきん、日課の一つに「音読」をくわえた。きっかけはいくつかあるのだけど、ひとつは、先日三軒茶屋から下北沢の方まで一緒に散歩をした、小説を書いているある友人とたどり着いた飲み屋の席で、これもなんの話の流れであったか判然としないのだが、とにかくその友人が、宮沢賢治の詩の一辺を朗々と誦じてくれる場面があり、わたしはそれを聞いていたく心を動かされた。諳んじられるほどに、誰かの言葉がおのれに刻まれているというありようが、なんだかうらやましく思えたのだった。

きっと、眼球でもって文字面を追うのでは足りない、口に出して何度も読む、飲み込んだ字を自身の喉をふるわせるかたちで再現し、作者の口調と、その言葉を駆動したこころの速度を(それは計り知れないものであることは前提としながら)感得する……一連の作業ののちに、言葉は刻印されるのだ。それは、言葉を通じて他者の身体を知るということでもあるだろうし、ひっくり返して言えば他者の言葉に憑依される、身体を乗っ取られるような経験にもなるだろう。

これはわたしもやってみたい、と思った。もちろん音読、朗読の経験が一切ないというわけではなかった、最近だとragelowさんとのコラボ絵本『DAYOFF』リリース記念展示会で、朗読のインスタレーション的な作品をやったけれど、そこで読んだのはあくまで自分の書いた詩であったし、つまり立ち上がったのはただ自分自身の口調(もちろん、これが真にオリジナルなものとは毛頭思ってはいない。馴染みの、ということ。ねんのため)であって、誰か、おのれの外側で編まれた言葉に身体を持っていかれる、先ほど書いた憑依の体験とはまた異なる趣のものだった。

そこで最初に、友人にならって宮沢賢治を読んでみることにした。取り出したのは、天沢退二郎・編『新編 宮沢賢治詩集』(新潮文庫/1991年)。「春と修羅」の序文を、声に出して読んだ。いわく「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です」云々。しょっぱなの旧仮名遣いにゼロコンマ一秒、認識が鈍り、また続く「有機交流電燈」と、これまた口馴染みのない単語に唇がふるえた。目で追い、脳内では発音していたはずの一文も、じっさいに口に出してみるとまったく違う手触りでそこにあらわれるのだ、ということがわかった。イントネーションはこれであっているのか? とか、瑣末なところまで気になり出す。そもそも、ここには何が書いてあるのだったか? ゲシュタルト崩壊は音声でも起こりうる、とは『言葉の魂の哲学』(古田徹也/講談社選書メチエ/2018年)で読んだことがある。

言葉が、とつぜんにごろりとした物質性を得たようで、それはまるで口の中に魚の骨や、髪の毛や、砂利や、なんであれ、異物のかたちであらわれた。宮沢賢治の言葉は、宮沢賢治の言葉として、鉱石のごとく結晶し、わたしの内側から発光しはじめたようでもあった。驚きと、それから快さがおしよせた。

次に、原民喜『原民喜全詩集』(岩波文庫/2015年)、ついで『夏の花:小説集』(岩波文庫/1988年)をひらいた。この作家も、先に書いた小説家の友人と歩いた際に、話題になったひとりだった。「夏の花」のような、小説であり、同時に自伝的でもあり、なにより広島での原爆被災経験を題材にしている文章でもあったから、これはこれでまた異なる口触り、舌触りを感じた。火傷で死にかけた、あるいは死した人間の描写を読み上げるときには、のどがかすれる思いをした。ときたま読めない漢字や、広島の知らない地名も登場するので、都度インターネットで正しい読み方や意味を調べて読み進める。目で読んだときには、するり、網の目を掻い潜るようにして気にもとめていなかった言葉ひとつひとつが、無視できない存在感を放ち、わたしのほうを凝視しているように感じた。自分はこれまでいかに軽薄な「読み」でもって本をめくり終えていたか! じんわり、冷たい汗が流れるようだった。

ふと思いついて、自分の音読をマイクで録音してみると、これがまた聞くに耐えないぼそぼそ声。発音もあいまいだし、しょっちゅうどもっては舌を噛むし、当たり前と言えば当たり前である、宮沢賢治にしても原民喜にしても、書かれてから70年以上の隔たりをもつ文章の、その口調に完全に同期できるような身体を持ち合わせているわけもないのだった。ズレを修正する(まさに「キャリブレーション」的作業だ)ためには、それこそ身に刻まれるほどに繰り返し朗吟するほかあるまい。いや、それにしたって完全に感得しうることはないだろうけれど、この時間と身体の隔たりを「音読」という行為ひとつで乗り越えようとする……ちがうか、にじりよろうとする? その過程そのものに、ながらく封印されていたなにか「想像力」と言うとうすぺらなのだが、とあるイマジネーションの享楽が起動したような気がした。

なんなら今回の記事の口調は、心なしか「夏の花」を繰り返し読んだ影響が表れているように感じる。目で読み流すのは異なるかたちで、他者の言葉がおのれに浸透して、こころの一箇所を占めはじめたのかもしれない。今さらそんなことに気づいたのか! と鼻をならす御仁もおられようが、しかし音読、これは面白い。おそらくは、現代の口調から離れれば離れるほどスムースに読むための難易度はあがるのだけど、それゆえ一層の、未知の身体を感ずる楽しみもある。

今は明治期の詩人・伊良子清白の詩集を読んでいる。「ゆたのたゆたのたゆたひに」という一文が出てきて、また一瞬、頭がフリーズする。「ゆたの、たゆたの、たゆたいに……」おぼつかない口調で、舌を絡ませながら声に出してみる。ごろり、と言葉が口腔にあらわれ、発光する。そこにはたしかな喜びが息づいている。

※恥を呑んで、録音した音読をPodcast番組として公開しています。ご興味あれば→https://anchor.fm/woodlands-circle-ondokubu


おしらせ

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