#28 足らぬまま、点々、転々(All-New Sandwiches)

インタビューを受けるという経験はそれだけで得難くありがたいことであるけれど、じっさいに記事や音声が上がってくると、ああ、ここはもっとこういう言い方をすればよかった、とか、あれの説明もするべきだった、とか、とにかくおのれの言葉足らずに辟易することが多く、ともすれば取材中よりもその後の原稿確認作業にこそとびきりの緊張が満ちてあると言ってもよい、しかし自分の発言に逐一赤ペンを入れ出すと止まらなくなるから、あくまでその場の発言やある事実とは異なるように思われる箇所を直すにとどめて戻すのだが、やはり色気を出したくなるもので、なにか気の利いたセリフのひとつやふたつ加えられないかと夜通し頭を悩ませるはめになる。とはいえ結局、たいていは二言三言よけいな文句を加筆するくらいのもので、読み手からすれば気づかない程度の差でしかない。

自分のこと、自分の作品のこと、あるいは自分の外にあること……あけすけに書くならば「社会」や「政治」、自分たちを取り巻くあらゆる事物についてであっても、何を聞かれたとしても、当意即妙にベスト・アンサーを出せるとすれば素晴らしいが、少なくともわたしは自分の発言を一から十まで貫くだけの強い「意志」や、精緻化された「思想」を備えているわけでもなく(あれこれ鉤括弧に入れたくなるのも言い訳めいた臆病からだと自覚しつつ)、なんなら日ごろ言葉を動かすこと自体を怠けてばかりいるから、口から出る、また手で記すそれらは軽々しく、空洞めいて、ほとんど誰の目にも胸にも掛からぬものであるように思われる。

それだのに、こりもせず毎週ブログを書いたり、あるいは朗読をやってみたり、何よりラップのアルバムを作り続け世に問うているのは、己の手にする言葉に自信を持っているからだろう? と意地悪を言う御仁もいるだろうが、じっさいはまったく逆の話で、ええ、これは個人的な実感に過ぎないけれど、つまり圧倒的に(この言葉の「圧倒的でなさ」といったらないが!)わたしには言葉が足りていないのである。

がらんどうゆえ、それを埋めるためなるたけ多くの言葉を手に取ろうともがいているだけであって、たとえば2018年リリースの2ndアルバムに収録した「Sparkle」という曲のサビでは「その空白を 埋めるdays いつも」というフレーズを繰り返し歌っている、その通りの感覚が今も変わらず継続しているのだ。ポケットはいつまでも空っぽのまま……。

そういえば、この「……」、いわゆる3点リーダについて、最近めくり終えた本ではアドルノの言を引いていわく、

リーダーの点は、雰囲気が売り物になる時代に好まれるオープンエンドということなのだろうが、そこで意味ありげにほのめかされる「無限」が逆に押し付けがましく感じられるのは、無限に広がる思考や想像力とは縁のないヘボ作家に限ってこういう記号文字に頼りたがるせいだろう、というようなことが書いてある。
(『カタコトのうわごと(新版)』多和田葉子・著/青土社/2022年/p.151)

とあり、アドルノ、これはなかなか痛烈な提言であろうと思う、なんせ「意味ありげ」な「雰囲気」をかもすためにわたしは幾度となく、ほとんど無批判に3点リーダを連ねてきた人間だ! 「無限に広がる思考や想像力とは縁のないヘボ作家」の素質ならばじゅうぶん、じゅうぶん……。

しかしここでわずかな抵抗を試みるならば、「言葉が足りていない」ものにとって、3点リーダに託すオープンエンドの意図とはきっと、言い尽くせぬもの、言い切り閉じることのできないものを開いたまま、未然の形で留保しようとするような、弱々しくも決意めいたなにかの表明であるとも言えないだろうか? たしかに「無限」をほのめかす嫌らしさというのは無視できないが、だが、そうして打ち込んだドットの連なりを飛び移るようにしてしか繋げられぬ言葉もあるのではないか。

そもそも完全な言葉など存在しないのだし、すべてを言い尽くすような語り口は、すくなくともいまの人間には不可能だろう。だから、言い尽くせぬもの、その欠落に向けた渇望は決して満たされることはない。どこかで折り合いをつけることができたら、それでいい……。

や、さっきから「じゅうぶん……」とか「それでいい……」とか、3点リーダは譲歩のニュアンスをあらわすのにも便利なようだ。もういいからこの辺で開いておきましょう、お開きにしましょう? という態度。それは言葉を尽くすことを諦めた、怠惰なスタンスでしかないのだろうか。足りない言葉をそのままにしておくことは、ある種苦しみからの解放ということもできるのではないか。単なる逃避といえばそれまでか?

先述のごとく『自分のこと、自分の作品のこと、あるいは自分の外にあること……あけすけに書くならば「社会」や「政治」、自分たちを取り巻くあらゆる事物についてであっても、何を聞かれたとしても、』あきらめずに言葉を尽くすことは必要だと考える、考えるからこそ編み続けている言葉があるのだが、同時に「言葉を尽くさなければ」「すべてを言い尽くさなければ」とそんな強迫観念から逃れるために、3点リーダの橋をかけておくようなストラテジーも捨てたくはない。なんせ「ヘボ作家」、いや「ヘボ作家」未満のおのれである。限られた想像力を動員して、とにかく、空洞だろうがなんだろうが、満たされようが飢えようが、誰からの評価もなくとも、閉じてみたり、開いてみたり、自己目的的に言葉を遊ぶ。そのなかで、満たされぬ欠落を補う思考や、想像力を得るほかないのである。

ブログやらラップ・アルバムやら、愚直に数を編むことで「ベスト・アンサー(=完全な言葉)」に少しでもにじりよれたらいいが、そうだ最初はインタビューの話をしていたのだったか、ああいう取材の場であってもどのみち「言い尽くす」ことはできないのだから、むしろ3点リーダ的話法……「そうですね……」「そうかもしれません……」を身につけることが解決策になるのか……それか原稿確認のときに3点リーダをたくさん書き加えてやるとか……? 浅薄なテクニックばかり浮かんでしまう。これもヘボゆえに違いはない。


おしらせ

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