#40 スロース・ベイビー(All-New Sandwiches)

さいきん、ナマケモノの動画をよく見ている。ナマケモノというのは怠惰な人間という意味ではもちろんなくて、南アメリカ、中央アメリカの熱帯林に生息する哺乳類、両手両足を使って木にぶら下がる姿でおなじみのあの動物のことである。

彼らはそのあまりに不名誉な名付けに(残念ながら)違うことなくのんびりゆっくりな動作をしていて、タレ目気味な顔もあいまってか非常に穏やかな印象を見るものに与える。Wikipediaの情報によれば、1日に10グラム程度の食事しかとらないのだとか。代謝を極端に抑えることで、少ない栄養分でも生命活動を維持できるということらしい。たしかにナマケているようだが、それだけエネルギーをセーブして生きているというのは哺乳類きっての倹約家ともとれる。

彼らは樹木にしがみつき、擬態することで天敵の目から逃れている。その「ノロさ」ゆえ、ひとたび見つかってしまえば逃げ切ることは難しい。ワシやタカのような、鳥類に捕食されることも多いのだという。実際の動画を見たわけではないが、たしかに空から猛スピードで襲い掛かる猛禽にあらがう術はないように思える。彼らは、圧倒的な速度の前に打ち伏せられてしまう。

ナマケモノは遅い。しかし、彼らにとってはその緩慢さが種としての進化の帰結……長い目で見ればもちろん「途上」であるけれども……なのだから、当然、ゆえあってのあのあり方なわけである。ゆっくり、ゆるやかに、ほとんど樹木と同化するような速度でいることが、生存のための答えだったのだ。荒々しい猛禽の速度には勝てないとしても、敏捷性を獲得する方向には舵を切らなかった。

有名な新書に『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』(著・本川達雄/中公新書/1992年)なんて本があった。あれはたしか、動物の体のサイズが当人の時間感覚や寿命にも密接に関わっているという内容だったはずだけれど、そうした体躯にまつわるロジカルな関係の図式はさておき「動物はそれぞれに異なる時間の流れのなかにいる」という単純な事実は、(そんなの常識だよ、という御仁もおられようが)何度だって確認してよいはずだろう。畢竟、ナマケモノだって自分のことを「ノロい」とは思っていないのだ。

ある種が他の種と場を共有したとき、それぞれの時間感覚が重なり合い、ときには生存をかけた力関係が生まれ、速い、遅い、相対的なスピードの大小によって生き延びるもの、命を落とすものがいる。ただ遅ければ死ぬ、というわけでもなくって、さきほど書いたようにナマケモノはじっと動かず、樹木に擬態することで身を守っているのだし、他にも同様の種は数多くいる、あくまでランダムに生まれた相剋のなかで、生き死にの結果が生まれる。

ちょっぴり無理やりに自分の体験につなげると、福岡から上京したとき、なによりまず東京の駅を行き交う人々の足の速さに驚いたことを思い出す。あきらかに、慣れ親しんだ九州の街よりも「速い」と感じたのである。これはなにも生物学的な種を超えた差異ではなくって同じ人間同士の話で、そういえば最近の「旅」にまつわる回で書いた内容にも重なるのだけど、やはりかそれぞれの土地や、地理的でなくともいい、なんらかの領域内では「基準」とされる速度があって、その基準と自分とのギャップが、プラスの結果を産むこともあればマイナスに傾くこともある、そう感じる。

簡単にいえば、田舎から出てきたばかりのあわれな青年・maco maretsは通りすがりの男性に舌打ちをされながら乱暴に道を抜かされたのだった。別に命をとられたわけじゃなし、しかしわたしはその場において確実に「遅かった」のだ。

この話は音楽にも重ね合わすことができるのではないかと思う。楽曲のBPM(=Beats Per Minute)、ようはテンポの速さも色々あって、これはあくまで肌感覚に過ぎないことを断ったうえで言うならば最近のヒップホップなんかはだいぶ「速く」なっているのではないか。自分、maco maretsの楽曲なんかは、現行のトレンドと比するならばだいぶ「ノロい」ように聞こえるんじゃないだろうか? 若い人にとってはなんだ、「こんなチンタラした曲聴いていられるか」となってやしないか……なんて余計な心配をすることもある。

これは別に「速い」曲が嫌いだとかそんなことを言いたいわけではない。己の依拠するテンポと、時流を席巻しているテンポとのギャップが確実に存在しているという、そんな話。ただ楽曲をリリースしているぶんにはそんなに気にならないものの、最近ライブ活動を再開したもんだから、ね、複数のアーティストが出演するようなイベントだと、どこかその速度を比較してしまう自分がいて、だって。他人のパフォーマンスがずいぶんとエネルギッシュかつスピーディに見えるのはなぜやろか? もちろんそんなこと気にする必要はない、ないとわかっていても、つい自身を顧みてしまうところがおのれの脆弱性である。

別にスロウな曲をつくろうと決めてそうなっているわけではない。やさしい曲をつくろう、などと思い定めてやっているわけでもない。むしろ自分なりの激しさを込めて世に問うた楽曲が、ある意味でアクセルを踏んだような、速度を上げたつもりの曲がそれでも「穏やかですね、チルですね」なんて評されることもある(そう受け取ってもらえることも得難くありがたいことなのは前提として、ね)、こうなるとナマケモノの憤りもわかるというか、別にのんびりしてるつもりじゃないんだけどなあ、怠けてなんかないよなあ? と肩を叩き合いたくなる。

速度は、生の時間感覚は、それを知覚するもの数だけそれぞれに目盛りを刻んでいるのだ。

気がつけば、速く、速く、誰かを追い抜いて、押しのけてでも生き抜くこと、それが強さであり賢明さであるとされるような時流が強まっている。そんなとき、押し付けられた速度にあらがいながら、自身のBPMを貫くことができるだろうか。決して怠惰に堕することなく、じっと樹木にぶら下がり続けるだけの忍耐があるだろうか。

そんなことをぼんやり巡らせながら、さいきん、ナマケモノの動画をよく見ている。11月。


おしらせ

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