【#14】遠雷【Sandwiches'25】

 
 
 
 

突然どしゃ降りの雨が通りがかって、せっかく干した洗濯物がおじゃんになった。遠雷の低い響きが聞こえる。きゃーっと、甲高く子どもの騒ぐ声がそこに混ざる。つい数日前に見たアニメ『機動戦士ガンダム』のあるエピソードで、宇宙生まれの登場人物が地球に降り立ち、生まれて初めて雷と出会うシーンがあったのを思い出した。人工の宇宙コロニーでは、雷を再現することはなかったようだった。雨ならともかく、雷は人類にとって不必要な現象ということだろうか。まあ、わざわざ人工的に起こすものではないと言われたら、そうかも。わたしはあまり雷の音におびえるタイプではないけれど、同居人は洗濯物を取り込みながら不安顔で「雷、嫌い」ともらす。雨はすぐには止まず、むしろその勢いを増し続けている。とりあえず外出しているタイミングでなくてよかった、とわたし思う。

不安定な気候はさておき、4月。8thアルバム『Wild』のリリースから約4ヶ月ほどが経ち、そろそろと次なる新作のための曲を書き始めている。毎度ながら前作とそれほどの期間を空けていないから、明確な切れ目はなく、連続している感覚。『Wild』からそのままのムードがあれば、新しく持ち込まれるものもあるだろう。

アルバムのテーマなんかはまだ定まっていないけれど、頭の上にいくつか浮かんでいるワードがあって、それを中心に組み立てていくことになりそう。たとえばざっくり「親しい人との別離」とか、「記憶」とか。なんだかしんみりとした雰囲気かしら、まあすっかりいつものことで。昔より、明るいテーマを書くのが苦手になってしまったところもある(皮肉でもなんでもなく、明朗快活なPOPソングこそとても高度な技巧の上に成立しているものだと感じる、だいたいが悲しいふうのポーズでいたほうがなんとなく「物語」になるから、そんなやりかたばかり選んでしまうから……)。

大まかなテーマはもちろん、単語のレベルでも、かつては一曲一曲かぶらないようにと苦心していた時期もあったけれど、最近は内容の似たリリックでもそこまで気にしなくなった。繰り返し繰り返し、同じことを口に出すのは別に悪ではないはずだ。反復によってより際立つテーマもある。また、テーマを反復しながらでも、サウンドの工夫次第では違った印象を響かせられるのが音楽の面白いところだとも思う。文字面だけでそれをやろうとすると、もっと難しいはず。

もっともわたし自身は際だったサウンド・メイクの技巧を身につけられてはいない、制作をともにするプロデューサーの存在こそが毎度の新しいアプローチを可能にしてくれているから、その意味で「maco marets」はとてもひとりで成立するプロジェクトではない。他者から受け取ったサウンド・イメージに対する身体の反応として、ふと言葉がぼろりとこぼれ落ちてくる、それをなんとなく歌詞(らしいなにか)として成形し、歌う。作品内において、わたしはあくまで部分的な役割を果たしているだけ、と言える。

このことは、自分と「maco marets」のあいだにある程度の距離、空隙を生んでいる。ウェットスーツのようにぴったり肌に張り付いているのではなく、だぼだぼのスウェット・セットアップを着ているような感覚と言えばいいだろうか。そんなルーズさのうえに作品づくりがあるから、なんとか狂わずいられているのかもしれない。もしも自分と自分の作品とが分かちがたく密着してしまっていたら、少なくともわたしの性格では正気を保つことができるかあやしい! たぶん、アルバムのひとつも完成できそうにない。

もちろん距離が離れすぎてもよくなくて、洋服のたとえで言えばぶかぶかのズボンはずりおちて格好がつかないし、転んでしまうかもしれない。そうならないように、自分に合ったサイズをなんとか見極めようと試行錯誤している。「ジャスト・サイズのシャツはまだ見つからず……」とはデビュー作で10年近く前の自分が歌っていたこと(maco marets『XL』※2016年リリースの1st アルバム『Orang.Pendek』に収録)だけど、その感覚はいまだ変わらずある。

もっとも言葉はつねに伸び縮みするもの、同じ形であり続けるわけもない。わたしの思う「わたし」の形だって、身体的にも精神的にも一定ではないだろう。それらがもしかしたら奇跡的に一致する瞬間があるとしたら「!!!!!」とびっくりマークをいくつ並べても足りないくらいの衝撃がありそうだ。ただ実際は、どこかままならない感覚を抱えたままでいるしかなく、つまりあるのはずのない「ジャスト・サイズ」だ、それを知りながら歌詞を編む。誰に言われたわけでもなく。それで拵えたものを人前で披露して、お金までもらえているのだから、すごいこと。

じっさいのところは、新しい作品に取りかかるたび「いや、もう曲なんてかけないわ」という気持ちになる。作業机に向かってああでもない、こうでもないとひたすら脳みそを絞る時間が続く、延々続く。キツい。キツいが、じっさいのところラクに曲を書けた経験なんてないし、すらすら書けたとしたらそれは無意識の剽窃の結果では、などと変に不安になって結局よくない。じりじりと時間を浪費したさきに、なんとなく、「こういうことかも」というちょっとした手触りを探り当てる、指先が一瞬触れた「なにか」の輪郭をどうにか曲のパッケージに落とし込む。

上手にやれたと思うことは皆無。それでもある地点で区切りをつけて、出してしまう。その思い切りの良さは先ほど書いた、わたしと「maco marets」との微妙な空隙のなせることかもしれない。どのみち、出さないと聴いてもらえないものね。誰かの元にきちんと届ける、届けようとする意志を示すことはきっと必要だ。いつも問われているのはそのアティチュード、だと思う。

なんであれ、こうしてぬくぬく作品づくりに取り組むことが許されている。とんでもない幸運だ。いつまで続くかもわからない、この幸せを噛み締めながら、わたしは自分の役目をーーそんなものがあるとするならだけどーー果たさんと、春のひとときを彷徨う。雷のようなインスピレーションを、通り雨のあわいに探している。(2025.4.12)

 
maco marets