【#13】春と恋するポメラニアン【Sandwiches'25】
自分への誕生日プレゼントとして、ポメラという文章作成用のガジェットを購入した。正式な型番は「Pomera DM30」。約7年ほど前に売られていた型落ちを中古で手に入れたのだけれど、これがもう、気に入って気に入って仕方がない。できるなら死ぬまで付き合いたいくらいに思っている。こんな気持ちははじめてだ、たとえば新しいスマートフォンなんかを買っても、こんなにときめくことはない。おおげさに言えばまるで恋に落ちたような、うかれポンチな気分である。
以前もどこかで触れたか、この「ポメラ」とは、KINGJIMという会社が作っているデジタル・メモシリーズのことを言う。2008年に発売した初代モデル「DM10」から最新機種の「DM250」までに多くの機種がリリースされており、今回購入した「DM30」は先ほども書いたように今から約7年前、2018年に発売した7代目の製品となる。折りたたみ式のキーボードにE Ink社製電子ペーパーディスプレイを備えた、アナログライクなギミックが満載のユニークなガジェットだ(ちなみに以上も、以下の文章もまるでヘタな広告のように思われるかもしれませんが違います、公式サイト等のコピペでもありません。念のため……)。
まず折りたたみ式キーボード、これがすばらしい。本体をたたんだ状態だと、ほとんど文庫本と変わらないサイズになる。少し厚みはあるが、コンパクトで鞄に入れてもかさばらない。いつでも気軽に外へ持ち出せてしまうのだ、これが素敵だ。デジタル・メモというからにはノートの代替としたいわけで、持ち運びのしやすさは何より重要と言ってもいい。
実は、わたしがポメラを手にするのは初めてではない。「DM250」という現行の最新機種を購入したものの、上手く使うことができず手放してしまった……ポメラニアン(ポメラユーザーの俗称)になり損なった過去がある。その理由というのが、想定よりもサイズが大きく、重さがあり、持ち運ぶ用途には向いていないと感じたからだった。最新型なだけあって薄さにこだわったスタイリッシュなルックは素晴らしく、また性能面にももちろん文句はなかったけれど、ラフに取り回したいわたしには合わなかった。
そうしていちどは「DM250」を手放したものの、ポメラへの憧れを捨てきれず検索を続けていた、その渦中で偶然にも発見したのが「DM30」だったわけである。その剛健な仕上げ、そして片手でがっしりと握りしめられるようなサイズ感はまさに理想形。これだ! と購入ボタンを押した、己の直感は間違ってはいなかった。
「DM30」を手順通りに展開すると、文章作成に必要十分な大きさのディスプレイと、おなじく過不足のないサイズのキーボードが出現する。ぱた、ぱたと三方向に開く(ついでに自動でスタンド足も飛び出してくる)変形のプロセスだけでもわくわくしてしまう、これは「触りたくなるギミック、心打つ操作性。」と公式HPの文句にあるとおりで、ノートPCやそれに類似した二つ折り形状だった「DM250」などのポメラシリーズでは味わえない、唯一無二のガジェットを触る快感がそこにある。
少しマニアックなたとえになってしまうだろうか、幼いころに視聴していた『ウルトラマンガイア』という特撮番組を思い出す。防衛チーム「XIG」の主戦力である「XIGファイター」という戦闘機が登場するのだが、それがまさに「DM30」よろしく、コンテナ状に折りたたまれた状態から空中で翼を展開、飛行機の形状に変形して飛び立っていくのである。この一連のシークエンスに覚えた興奮は今でも忘れられず、たまにDVDで見返すほどだ(わかるひとはわかるでしょう? きっと……)。
そうだ、「DM30」の折りたたみキーボードだって、まさに翼だと言っても過言ではないかもしれない。がちゃん! がちゃん! 左右に大きく広がるその翼で、果てのない創造の旅へと飛翔するのだ! 「書く」こと、ただひとつの目的をロマン溢れる機構の上にデザインせんとした「DM30」。ほんとう、あっぱれである。
ロマンといえば、先述の「E Ink社製電子ペーパーディスプレイ」についても触れるべきだろうか。これはポメラシリーズにおいて「DM30」にのみ搭載されたものであり、Kindleのような電子書籍リーダーと同様にまるで紙に印字されているかのように文字を表示してくれるというもの。液晶とは明確に違った手触りの、フラットでさっぱりとした画面が気持ちいい。これもオリジナルな個性を持ったテキスト・エディタとして「DM30」が愛されている、そのゆえんであることは間違いない。
ただ、このディスプレイについては発売当初から評価がかなり分かれてしまっていたようだ。入力の際の微妙な遅延や、電子ペーパーディスプレイ特有の残像感など、ストレスに感じるユーザーも多かったとのこと。実は「DM30」以降のモデル(と言っても「DM250」のみだけれど)では電子ペーパーディスプレイ、ついでにキーボードの折りたたみ機構も廃止され、継承されることがなかった。これはとても残念。
ネットで検索してみると、そうした画面のレスポンスの悪さに加え、お世辞にも高いとは言えない変換精度やファイル共有方法の煩雑さなど、「使いにくい」と辛口なレビューを投稿している人も少なくない。発売当時でさえそうだとしたら、2025年の今、最新のスマートフォンやPCに慣れた身からするとなおさらアナログなマシーンに感じることは疑いようもない事実だけれど、でも、その絶妙な使いにくさこそをわたしは愛でたいとも思う。
メールやら契約書やら、事務的なテキストの作成に使うには確かにきついかもしれない。しかし、たとえばブログのような文章にしろ、詩や小説のような作品を書くにしろ、じっくりと腰を落ち着けておこなう執筆作業には、レスポンスの軽やかさはさして問題でない気がするのだ。むしろその「遅さ」が、使用者に文字のひとつひとつ、言葉のひとつひとつを検討する態度を促してくれるように思えないだろうか? たまにとっ散らかる変換機能だって、硬直した文節をバラバラに解体してくれた、などと見ればもっと面白がれるはずだ。
そうだ。寸分たがわず意図した文字が出力される画面より、こちらの打ち込んだ文字をゆっくりと受け止め、時に思い描いたものと違った反応をみせてくれる「DM30」こそ、言葉の不確かさ、ままならなさを知るために必要な道具と言えないだろうか。頼りないその場所からのみ辿り着けるような、「書く」営みの真髄があるかもしれない。思いがけない喜びがあるかもしれないのだ……。
そうしてblah、blah、blah、近所のファミリー・レストランで「DM30」でもって綴ったのが今日の内容で、もっともね、さんざん褒めちぎったけれど使い始めてまだ一週間。自分とこの道具との関係、そして書くもの、書かれるものの姿がどんなふうに変化していくのかはわからない。過剰な期待は禁物だとしても、壊れない限りは付き合ってみたいと、バイアスまみれの指先で今、打ち込んでいる。なんてったって、恋、しちゃったもの。冷めるまでは熱く、そんな春で。ぴかぴかのポメラニアン1年生です。(2025.4.5)