【#7】卵と殻と【Sandwiches'25】
時たま、夢を見ることがある。それで目覚めたとき、断片的にでも思い出せることがあればメモを取る。特に目的があるわけでもない。ただ、そうすることが何かしら自分の状態を知る手掛かりになるかもしれない、とそのくらいの適当な感覚でつけている、夢日記である。
例えば、とある1月の朝のメモ。
「ゆでたまごを殻ごと頬張る夢」
これは今でも思い出せる。実際に試したことはないのに、つまりは想像の産物であるのに、驚くほどリアルな食感が口中に広がって、ぱきぱき、ぱきぱき、硬い殻を咀嚼する感覚がとても気持ち悪かった。
その数日後のメモには、こうある。
「誰かの顔をめちゃくちゃに殴る夢」
相手が誰かわからないまま、殴打し続けるというのは自分ながら相当に怖い、何か鬱憤が溜まっていたのだろうか。人を殴ったことなんか、中学生の時のたわいもない喧嘩くらいだ、実際には数えるほどしかないのに。このときの拳の感触もいやに現実的で、本当に痛むようだった。ちゃんと悪夢らしい。
また別の日のメモ。
「倖田來未のライブステージでラップをさせられる」
これも、なんとなく覚えている。ライブ中に突然ステージに上げられ、歌詞も何もわからないまま「ラップしろ」とマイクを渡される夢だ。失礼ながら、なぜ「倖田來未のライブステージ」を観ているのか、状況がもうわからないし(そもそも自分の深層意識に倖田來未が存在していたことが驚きだけど)、それで言われるがままラップを試みるもろくに歌えず、恥を晒すというような。確かそんな内容。
この、「ライブで恥をかく」系の夢は定期的に見る。きっと、どこかでステージに立つことへのおそれが消えずにあって、その不安がこうして寝ている間にやってくるのだろう。衆目を浴びるということに、いまだに慣れていない自分がいる。
まだ学生のころ、「君は人前に立つような仕事は向いてないよ」と初対面の人に言われたことがあるが(考えてみれば理不尽なことだ)、そんな言葉がどこかで引っかかったまま、内面化されているのか。ちょっと呪いめいた、自意識のくびきに縛られている。人の目は、いつまでも恐ろしい。いくらライブをしようと、その感覚は変わらない。
それにしても、幸福な夢はあまり観たことがない。否、ただ忘れているだけかもしれないけれど、だいたいは今書いたような、奇妙な悪夢ばかりが記憶に残っている。卵を殻ごと食べることが、誰かを殴ることが、倖田來未のライブでラップをすることが、何を象徴しているのか? あまり気にしていなかったが、なんだか変な感じだ。夢って、そもそもがワケもなく混沌としたものなのだろうけど。
ふと思いつきで、これらの夢の解釈をAIに尋ねてみることにした。
「倖田來未のライブステージでラップをさせられる」に対しての回答。
「自己表現や創造性を発揮したいという願望を持っている一方で、人前でのパフォーマンスや新しい挑戦に対する不安やプレッシャーを感じていることを反映しているのかもしれません。」これはなんとなく、予想の範囲。
続いて「誰かの顔をめちゃくちゃに殴る夢」の解釈。
「あなたの内面に抑圧された感情やストレスが蓄積していることを示唆しています。殴る相手が見知らぬ人である場合、自己の内面に対する不安や葛藤、または現実の人間関係におけるストレスを象徴していると解釈されます。」なるほど。これもまだ、想像できそうなことだ。
いちばん意外だったのは、「ゆでたまごを殻ごと頬張る夢」の解釈だ。ちょっと長いけれど、せっかくなのでまるっと引用してみる。
「夢占いにおいて、卵は一般的に『幸運の兆し』や『新しい始まり』を象徴するとされています。 ゆで卵を食べる夢は、願望の達成や目標の実現を示唆することが多いとされています。一方、卵の殻を食べる夢には、内に秘めた可能性を解放するという意味が含まれると解釈されています。 殻は本来、保護や防御の役割を果たしていますが、それを食べることでその保護的な要素を取り払い、新たな可能性やチャンスが現れる前触れとして解釈されます。」
「したがって、『ゆでたまごを殻ごと頬張る夢』は、あなたが自身の潜在的な能力や新しい可能性を受け入れ、これからのチャンスを活かそうとしていることを示唆しているのかもしれません。」
卵の殻を食べる、というのは夢で得た感覚からして懲罰のような、何か後ろ向きな行為の印象だったのだが、AIの収集した「夢占い」のリファレンスによればむしろポジティブなこととされているようだ。自らを覆う殻を取払い、新たな可能性を受け入れる。これはなんだか、素敵な解釈である。不意打ちのような意味の転換に、ちょっぴり嬉しくなってしまった。
結局はインターネット上のデータのつぎはぎで導き出された「それらしい」回答だろうが、見方によっては本来の「夢占い」も似通った手続きを踏んだものであろうし、あながち馬鹿にはできない。いくら第一印象が悪夢的な内容であっても、読み解き方によっていかようにも意味を生成できるのだ。そこに潜む「解釈」という行為の暴力性には注意を払うべきだろうけども。
ただ、好き勝手にタロットカードを読むように、夢の残滓でもって遊ぶくらいなら。ちょっとした暇つぶしにはなるかもしれない。AI夢占いサービス、流行るかな。たぶん、もうあるかもな。(2025.2.15)