【#6】チョコレート・ポテトチップス【Sandwiches'25】

 
 
 
 

年始からのんべんだらりと過ごしていたツケが回ったのか、2月に入ったとたん、身の回りがにわかに慌ただしくなってきた。さまざまな出演イベントの準備や、レコーディング、原稿の締め切りなどなど、油断しているところでダンゴになってやってきたものだから、ちょっとしたパニック状態だ。

積もるタスクをこなそうとあれこれ試みるにつれ、つくづく、自分は物事を決断するのに時間がかかる人間なのだなあと感じる。時としてメール一通返すのも、大仕事。新しい仕事を受けるべきか、否か?いつもすぐには決められない。自分の判断がベストなものか、ぐるぐるといつまでも逡巡してしまう。こういうとき、もう少し俯瞰した立場で助言してくれる、エージェントのような人間がひとりでもいてくれれば心強いと思うが、現状ではその役に付いてくれる者はいない。ならば自分でなんとかするしかないのは承知の上、それでもぐずぐず怠惰、怠惰。

仕事の上だけでもじゅうぶんに問題だけれど、この「すぐに決められない」性分はたかだか3時のオヤツにまで影響している。つまりね。なんでもない昼下がり、小腹が空いたからとコンビニに足を運んだとしましょう、そこで甘いものを食べるか、しょっぱい物を食べるか? 単純なこの二択がまあ、大変な問いとなって立ちはだかってくるのである。

今自分が食べたいものってなんだっけ? どんな味を欲しているのだっけ? いざ陳列棚を前にすると答えが出ないのだ、いつもいつもそうだ。ドーナツか、おにぎりか。「オレオ」なのか、「じゃがりこ」なのか。情けないようだが、そんなことで延々と迷ってしまう。

結局はなんとなく目に入ったものをレジに持っていくか、悪いときには何も買わずにお店を出ることもある。もやもや。その度に、なんだか苦い後悔ばかりが舌に残る。

こんなとき、「まずは自分を知ることだ」と内省に向かうのは一つの手だろう。なぜ選べないのか、その理由を紐解いていくことは、何かしらの方法によって可能であるかもしれない。自分自身の味の好みを、徹底的に分析してしまえばいいのか? いや、でもそれはその時々の気分もあるし難しいか。他に、この問いを克服する方法はないものだろうか。

煮え切らない生活を送るなかで、わたしがこしらえた、オルタナティブな回答がひとつだけある。タイトルにも書いた通りの……そう、チョコレート・ポテトチップスである。

どういうことか、お分かりですよね。それはつまり「甘くてしょっぱい」存在。相対するふたつの極を同時に含む、両義的、両論併記的と言ってもよい存在なのだ。それは第三にして、究極の選択肢。ちなみに同じような食べ物として塩豆大福、いぶりがっこ・チーズ、あるいはゆるふわギャングが歌ったところの「フレンチフライ・ディップ・イン・シェイク」なんかもあるけれども、ここではそれらも含んだ「あまじょっぱ」の象徴しての「チョコレート・ポテトチップス」ということで。

その、チョコ・ポテチ。食べたことがない方は、「本当に美味しいのか?」と疑うかもしれない。わたし自身、最初にそれを口にしたときはこの味をどう処理したものか、脳が混乱したような記憶もある。甘いのか、しょっぱいのか? どっちなのだ? と。しかし、乱暴なようだが「美味しいかどうか」は問題ではない! ここに生じる味覚の混乱こそがリアルなのだ、とそうは言えないだろうか。

甘い。しょっぱい。そのどちらでもあり、どちらでもない。その両義性こそが、このスナックの本質だ。選択を迫られる場面で、わたしたちはつい「どちらが正しいか」「どちらがより望ましいか」と二元的に考えがちだ。しかし、チョコ・ポテチが示しているのは、そのどちらにも寄らない可能性、あるいは矛盾を抱えたままでも成立する世界のあり方なのである。決断できないことを嘆くよりも、その宙吊りの感覚に身を委ねることでしか見えない景色がきっとあるはずなのだ。

だから、わたしは迷ったらそれを選ぶのである。

ただ悲しいかな、最近はあまりコンビニの棚でチョコ・ポテチを見かけない。調べた限りでは、販売期間が限定されている商品が多いようだ。考えてみれば、あたたかい季節だとチョコレートは溶けてしまうし、その溶けたチョコがポテチを無秩序に浸してしまうならば、絶妙な調整で保たれている味のバランスが崩れかねない。そういうことだろう。抱えている矛盾がゆえに、それは脆い。

そう、脆いのだ。奇跡的に成立している均衡を言い訳にして、決断を先延ばしにしているだけ。そう言われたら否定できない。都合のいい逃げ道として「矛盾を抱えたままでも成立する世界」などと宣うばかりで、その矛盾を真に問うこともなく終わってしまう。このスタンスはあくまで3時のオヤツくらいのところに留めておくのがきっといい。どのみち、仕事の上での決断はイエスかノーの二択がほとんど。「宙吊りの感覚」のままでは許してもらえない。(2025.2.8)

 
maco marets