#01 あらため常体にて
いよいよはじまった「All-New Sandwiches」である。
なにが「All-New」なのか、まずひとつは書き出しの一文でもってわかるように、敬体(いわゆる「です・ます調」)を封印し常体(「だ・である調」)で書くということがおおきい。
わたしはこれまで多くの場で必ず敬体を選り好んで使ってきた、その理由のひとつは言ってしまえばなにがしかの物事について「これはこうだ」と言い切ること(またそれに対して批評的なまなざしを受けること)をきょくたんに恐れていたからで、まったく表面的な話ではあるけれど、敬体のほうが書き手の態度としていくぶんか慎ましやかというか、押し付けがましくない印象を与えるはずであろうことは否定できないのではないのんか……ぼやぼや、とかく臆病で責任逃れな意図でもっての敬体使いであった。
といいつつ問題は敬体/常体の分別や機能ではなくて(そもそもそれらをしっかりまとめて論ずるにはあまりにも準備が足りない)、書くということに対してどこか腰が引けたようなその態度である。「なーんちゃって」と予防線を貼るような、ふんわりやわらかい「なんとなくいい感じー」な表現でもって対象をまるめこんでしまうような……そんな自分がいることを否定できない。そして、そのような態度が書き方が、自らのまなざしを鈍化させていることにもうすうす、気づいていた。
出来の巧拙はともあれ、なにかについて書くという行為を「小洒落た文句で包装すること」を至上として満足しているようでは思考が深まるはずもないのである。矮小化への誘惑はあらゆる場所に潜んでいる。
であれば、癖づいたひとつの書き方、あれこれを曖昧なままに捨て置くような「ふんわり文体」から自らを引き剥がすことによって、書くという行為そのものともう一度向き合うような経験ができないだろうか? 大袈裟にも聞こえるだろうけれどそれが「All-New」なこの連載の目的のひとつになった。
そしてその「引き剥がし」の形式的な実践その①が敬体から常体への切り替えであり、だからここでの眼目はあくまで「書き慣れたものとは別の文体を手に入れられるかどうか」というところにある。そういう意味では敬体だろうが常体だろうがかまいやしないのだが、わかりやすくガワから変化を加えてみようと、このような書き方をしている。
これまでの「Sandwiches」で見せてきた、とぼけたような態度を一絡げにくさすつもりはない。ああいった文章を書く自分を抹殺したい、とそういうわけではなくて、異なるスタイルをあらたにインストールすることで(繰り返しになるが)書くそのときの、対象との向き合い方を多層的に「態度しなおす」ことができたらいい。一種の実験だ。どうにもぎこちないこの文体も、書いていくうちに徐々にチューニングされていく、かもしれないし、ついぞ馴染まないといった結果もありうるだろう。試してみなければわからない。
前回の「あいさつにかえて」では本連載を「ラフで日記的な」内容にするとしていた。が、これもどうなるか正直不明である。ひとまず初回においては、このような口調を選んだ理由に触れずにはいられないと考え、ぐだぐだ説明を試みた次第である。ほとんどのひとが途中で離脱してしまったんではないかと、余計な心配をしている。
しかし自分のブログページである。好き勝手にやってやれという気持ちで、いかめしいのか阿呆なのんか、判別つかぬ雑文を書き散らしていきたいと思う。よろしくである。
おしらせ
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今夜(1月19日)午後10:25~ は第2回の放送です。maco maretsは主題歌「Howl」の制作、歌唱を担当しています。