#08 湯浴みとかげもどき

朝起きて本棚の上に置いたガラスケージを覗き込むと、飼育して二年ほどになるヒョウモントカゲモドキ(ヤモリの仲間の爬虫類)のゾーイの様子がおかしい。顔や下半身、尻尾の周りなど、からだのあちこちに白く硬化した皮膚が剥げかけのままでまとわりついており、居心地悪そうにぎこちなく身動ぎしているのである。

すぐにこれはいわゆる「脱皮不全」と呼ばれる状態で、その名の通り脱皮が全うされず、古い皮が体表に残ってしまう症状なのだと思い至った。原因は湿度不足、また気温の低下など。そのまま放置していると眼球や指先の壊死を引き起こしてしまう。本来は脱皮の兆候がみられた段階でこまめな霧吹きなどを行い、しっかり皮が脱げるように調整してやらねばならなかった。

何を隠そう、わたしはこのゾーイのほかに、フラニー、そしてサリィ、あわせて三匹のヒョウモントカゲモドキを飼っているのだが(安直なネーミングについてここでは不問としていただきたい)、脱皮不全を起こしてしまったのはこの二年間ではじめてのこと。湿度管理を怠ったからか、あるいはぶり返した寒さのせいか、原因は一概には言えないけれども、どのみち脱皮の兆候を見逃したわたしのミスである。飼育上の注意点として脱皮不全の情報は頭に入れていたものの、まさか自分の子らには起きぬだろうとたかを括っていた。

あわててGoogleで対処方を検索すると「ぬるま湯につけて数分待ち、ふやかした皮を綿棒などでやさしく擦りとる」とある。もちろん爬虫類の入浴介助など未経験であった、しかしグズグズしてはいられまい! さっそくうすくお湯を張った洗面器を用意し、そこにばたつくゾーイを引っ掴んで差し入れた。

生まれてはじめての入浴である。顔がつかないほどの浅さながらやはり水は怖しいのか、ゾーイはしばらくのあいだ洗面器から抜け出さんとせわしなく動き回った。陶製のつるつるした壁がそれを阻み、やがてあきらめたようにじっとこちらを見つめる。彼(書き忘れていたが我が家の三匹は全員オスである。幼体時には雌雄の判別が難しいため、選んで購入することはできない。成長してみるとたまたま全員がオスだったのだ)は丸く黒目がちな瞳をしていて、普段はとても愛らしい表情にみえる。それがいま、どこか不機嫌に、非難がましく歪んでいるように感じたのはなぜか、勝手な投影だろうか。

「ごめんなあ」と声をかけながらお湯を体に浴びせ……これも今回知ったのだがヒョウモントカゲモドキの皮膚は撥水機能を持っておりなかなか浸透まで時間がかかった……少しずつ古い表皮を剥ぎ取る作業に入った。まずは手足、これはしっかり湯につかった箇所なこともあって順調にゆき、まるで手袋のような格好でするりと脱げた。尻尾も同様。やっかいなのが顔一面にこびりついていた頭皮で、これは十分に濡らすことが難しく、綿棒で彼の頭を何度も擦るがなかなか取れない。最終的には綿棒を使うのをやめ、指先でつまんで一気に脱がせることになった。嫌がる様子だったが、ずるり、顔を覆っていた皮が脱げたときには彼も多少なり解放された心持ちだったのか、体を大きく震わせていた。

一世一代の受難を終えたゾーイをケージに戻すと、彼はくたびれた様子で隠れ家シェルターの奥に引っ込んでしまった。もう一度「ごめんなあ」とぼんやり声をかける。洗面器には、冷めた湯のうえに脱げた皮が浮かんでいて、せっかくなので乾かして保存してやろうかと思ったのだが(ふだん、彼らは脱いだ皮をそのまま食べてしまうため抜け殻が残ることは稀なのだ)、すくいあげてみればすっかり水分でぐずぐずに崩れ原形をとどめていない、これでは何にもならぬと捨ててしまった。

して、あるていど見える部分の皮は取り払われたはずだが、安心するにはまだ早い。指先や眼球の周辺などに細かな皮が残っている可能性もある。おかしな様子がないか、しばらくのあいだ観察を続けねばならないだろう。

彼らは生きる環境をわたしという一個人に掌握されているわけで(あらゆる「ペット」に言える話であろうけれど)そこにはいかなる正当化の余地もない。すべてわたしの傲慢なのだから、それでも一度引き受けたからにはその生が少しでも健やかに全うされるよう気を配るしかあるまい。

多くの生物と同様に、爬虫類も人間に「懐く」ことはないという。餌をくれる存在として「慣れる」ことはあっても、そこに信頼関係、共感関係のようなものが生じることはないのだ。

しかしわたしはときたま、彼らが人間を睨め付ける眼球の、鋭く縦長に割れた瞳孔の裏にまぼろしめいた声を聞きとろうとしてしまう。彼らに見つめ返されるその瞬間の、ガラスをへだてた空気のたわみがわたし自身の回路、生への態度をどこか変容させていると感じる。

そうした実感そのものがエゴイスティックであると知りながら、しかし、彼らを生かすことがまたおのれを生かすことに繋がっているのだ……と、そんな倒錯めいた考えは剥がれかけの皮のようにこびりつき、何度擦ろうと取り去れずにいる。


おしらせ

・『SYNCHRONICITY'22』出演決定

2022年4月2日(土)&3日(日)、東京・渋谷で開催されるサーキットイベント『SYNCHRONICITY'22』に出演します。

詳細は下記サイトをご覧ください。
https://synchronicity.tv/festival

・街なか音楽祭『結いのおと』出演決定

2022年5月7日(土)&8日(日)、茨城県結城市にて開催される都市型音楽フェス『結いのおと』に出演します。

(現在発表済みの出演アーティスト)
SPECIAL OTHERS ACOUSTIC/スカート/yonawo/サニーデイ・サービス/TENDRE /ぷにぷに電機/思い出野郎Aチーム/GOMA meets U-zhaan/VivaOla /YonYon /C.O.S.A./Nenashi/bird/空音/ぜったくん/maco marets/macico /栞寧 ...and more!!

詳細は下記サイトをご覧ください。
yuinote.jp/posts/32320946

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