#25 斧について(後)(All-New Sandwiches)

(今回の記事は前後編の後編です)ナイフやハサミ、チェーンソー、ノコギリ、刀などなど、ものを「切断」する道具はさまざま存在する。機能だけを取り出すのであれば斧である必然性はないようにも思えるけれど、ここではその理由をあえてでっちあげてみたい。

まず、斧という道具に個人的な親しみを覚えているということが大きい。わたしの育った九州の実家は、父のアウトドア趣味が高じた結果か木造ログハウス風の建物となっており、そこにはこじんまりとした薪ストーヴが備え付けられている。当時はエアコンも設置されておらず、冬になればひたすら薪を燃やすほかに暖を取る手段はなかった。薪となる木はなじみの材木店から廃棄分の切れっ端をお裾分けしてもらうのだが(さすがに山に分け入って切り倒したりはしない)、これがてんでんばらばらなサイズだものだからそのままではストーヴに収まらない。薪割りの作業が必要、ということはつまり斧の出番である。父に習い、幼い手で斧を振るった。

綺麗に薪を割るにはコツがいる。たとえば木の繊維の方向に対して垂直に刃を落とさないといけない、節が通っている場合はそれを避けなければならない、など。チェーンソーや丸ノコなどの電動工具であれば気にせずに作業できるのかも知れないけれど、斧はといえばそうもいかない。割りやすいポイントをみつけ、重力の力を借りて刃を落とし……なかば「叩き割る」ような格好になる。失敗すれば、鈍重なその刃は硬い木の節や表皮、あるいは地面にしこたま打ち付けられ、じん、と痺れた両手にふうふう息を吹きかける羽目になった。

ある意味でとても扱いづらく「ままならない」道具だったけれど、それゆえに薪を美しく両断できた瞬間の快感といったらない。スポーツ全般と縁遠い人生を歩んできたわたしも、この薪割りというアクティビティに限ってはすっかりその享楽の虜なのだった。

そうだ、そもそも斧とはとてもプリミティヴな道具である。『はじめ人間ギャートルズ』のような原始人のイメージを持ち出す必要もないが、古代の人類は石材を加工してつくった「石斧」を用いて狩猟や採集を行なっていたという。石器時代の記憶や本能が現代の自分にまで受け継がれている、というと突飛すぎる空想かもしれないけれども、しかし斧は長らくのあいだ人類にとって必須のツールであったのだ、その手馴染みの良さとか、わたしが覚える不思議な愛着だって無視できないなにか、人のかたちにあわせて完成された、原初の道具としての充填された内実があるのではないか……。

そういえば。安田登『役に立つ古典』(NHK出版)には「新」(あたらしい)という漢字が「木」と「斧」からなるという話が載っていた。「新」は「木の新たな切断面を表す文字」(『役に立つ古典』p.50)だというのである(おそらくは有名な話なのだろうけれど、わたしはその本を読むまで知らなかった)。そう、木にむかって斧を振り下ろす、個人的な身体にも刻み込まれたその行為が、まさに「新」なるなにかを生むことの象徴となっていたのだ! しかし考えてみれば、「斤」(おのづくり)という部首は「切断」の「断」や、同じ意を含む「斬」「斫」といった漢字にも含まれている。つまり、ものを断ち切るという行為にまつわる言語のイメージには元来から「斤」、もとい「斧」の存在が反映されていたのである。

たとえばナイフだって古代から存在したはずだけれど、ものを断ち切る行為を表すのは斧のかたちなのだ。

ほかにも、ネイティブ・アメリカンが使う斧を「トマホーク」と呼称することがある(ゲーム『ロックマンエグゼ』シリーズに登場する「トマホークマン」というキャラクターで知った)。これはネイティブ・アメリカンの用いるアルゴンキアン語という言語で「切るための道具」を意味する「tamahakan」(トモハーケン)が語源になっているそうだ。国や言語は違えど、ここでも斧と「切断」のイメージは分かち難く結び付けられている。

するといよいよ、「斧とは切断の道具である」と言う認識にも物理的な事実以上の、レトリカルな意味合いがより広がりをもつような気がしてこないだろうか。「新たな切断面」=これまでの関係とは別離のある位相、を表出させるアイテム。それこそが斧だとすれば、わたし・maco maretsが(既存の楽曲とは異なるテイストを表さんと挑んだ)最新作のタイトルにそれを持ち込んだ意味合いも多少なり息づいてくれるのではないか?

この記事の前編で書いたように、ここでの「切断」をわたしたちをとりまく因果からの解放、自由意志の象徴と捉えると「意志」という概念そのものが抱える矛盾に悩まされることになるわけだけれど、それでも、ある意味とても力強く純粋なかたちで、物事の局面を変化させるポテンシャルを帯びたある態度(のシンボル)として、斧を用いてみることは可能ではないか。

アルバムのラスト『Warp(feat. TiMT)』という楽曲では「その手が斧をふりおろすとき 喜びの音が鳴り響く/いのちの眼がひらく」というフレーズを歌った。振り下ろした結果、切断を為せたかどうかは問題ではないのかもしれない。ピュアなエネルギーにみちたその刃が対象に触れんとするとき、その斧が虚で仮想的なものであれ、はっと目の覚めるような、新しい局面の萌芽をみることができるとしたらどうか。そこにはかけらでも喜びがあるのではないか。何度も何度も、斧を振り下ろすことで人類は進化したのだから。


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