#37 旅のゆくさき(All-New Sandwiches)
先月からmaco maretsとしてのライブ活動を本格的に再開すると宣言し、ありがたいことに、県外からの出演オファーも徐々に増えてきた。都内での公演を除くと、9月は名古屋、山形。10月は滋賀、福井、長崎、福岡……と、半数はこれから訪れる場所になるが、とかく全国各地をいったりきたり、ぐるぐる経巡る日々である。これは未曾有のウイルス禍が到来した2020年の春、それ以前の生活が戻ってきたようで、もちろんその頃とはさまざまに自身の(また社会の)ありようが変化したことは言うまでもないけれどそれでも、たとえば新幹線のホームに立ちながら、なんだか懐かしさと感慨に耽る瞬間がある。
そうだ。東京から離れた場所にひとり歌いに行くときの、興奮と、不安とが入り混じったような感覚は、本当にひさしぶりだった。
自分は元来ひきこもり気質で、ライブイベントを除いては遠出するなどもってのほか、近場でのパーティ、飲み会にも必要以上には顔を出さない。ひとり部屋で過ごすのがなにより好きだし、普段からのんびり本を読んだり、映画を観たり……気ままな炬燵猫でいることに悦びを覚えるのだけど、それはあくまで「自ずから選んで」自宅で過ごしているからこそ。なかば強制されるようなかたちで行動範囲を制限されたこの数年間は、柄にもなく移動への欲求がむくむくと湧いてきていたのである。そしてそれは言い換えれば、まごうことなき旅への憧憬なのだった。
書くものの気分を変えたいと思ったら、場所を変えるのがよい、とか、そんなようなことを言ったのは誰だったか。閉じたルーチンから抜け出して、自分を、勝手もわからぬ土地に放り込む。ランダムに、アクシデント的に訪れる出会いを楽しむ。そんな旅が、すっかり硬直し切った脳みそをひらくためにはきっと必要なのだろう。
ただ、maco maretsとしての旅はイベント出演というある種のミッションを帯びてもいるわけだから、ふつうの観光旅行とは様子がちがう。誰かからお金をいただくかたちで「呼ばれて」その地に赴いている以上、ちゃんとリハーサルの時間に間に合うようにしなければならないし、移動で疲れ果ててパフォーマンスができない、なんてもってのほか! 少なくとも本番を終えるまではあんまりふらふらするわけにもいかない。可能ならまっすぐ現場に辿り着きたい。
それに、どのみち旅程はひとりきりだ。スタッフなり友人なり、同行者がいればあーだこうだ会話も弾むだろうけれど、それがない。唯一の相棒がスマートフォンだけれど、それも実際にその土地を歩くこと以上に詳細な情報を与えてくれることはほとんどない。心細さを抱えたまま、ひとりイベント会場を目指すことになる。
車は持っていないから、移動は新幹線/電車か、あるいは飛行機。あとは運良くバスやタクシーを拾えたらいいが、歩きになることも多い。トランクは機材と、物販のアイテムを詰め込んであるからときに苛立つほど重い、快活な歩みともいけない理由のひとつは大荷物にある(もっとも、これも仕事のうちなのだから不平不満を言うつもりはない)。
とまれ、あちこち無駄に移動する時間も体力も持たないわたしには、たとえば名古屋への旅、といったときには名古屋城、レゴランド(これはいつか行ってみたいところ)、そのほかの観光スポットをゆるやかに周遊するのではなく、自宅からライブ会場を一直線に結んだ道程を往復するようなイメージのほうが近い。そうなると、先に書いたような「硬直し切った脳みそをひらく」ような旅にならないような気もする……が、考えてみれば一直線の道のりをスムーズに辿ることなどできるはずもない。
重いトランクをえっちらおっちら引きずりながら、見知らぬ駅を目指し、見知らぬ街を歩き。道に迷う。電車に乗り間違う。気候・天候、その他の事情によって思うように移動できないときもある(先日の滋賀では、大雨によって残念ながらイベントそのものが中止になってしまうという結果になった)。そしてその場所の人々と出会い、会話するなかで、ときには自分の言葉遣いが無効である瞬間を知ることもある。習慣だけを頼りにしていては、その土地を歩くことはできないのだ。
それこそ海外まで飛ばずとも、国内だけで47都道府県(その区分の有りや無しやはさておき)津々浦々にそれぞれの土地の時間があり、空気があり、またそこにいる人間それぞれの言葉があり、身体がある。
上京して10年目、もともとは九州の山奥で育ったわたしだってすっかりトーキョー仕様にチューンナップされてしまった(そんな気がしているだけか?)、そう、そこで身につけた所作も、言葉遣いも、決して普遍のものではないことを知っているはずなのに、気づけば「首都圏版」の地図でもってものごとを測るようになった自分がいる。すべてが、東京を中心に動いており、そのほかは「外縁部」に過ぎないというような……狭義ではそれが事実であるとしても……その習慣的速度が絶対であるというような。
そんな幻想が、ヘトヘトになりながら行きつ戻りつする過程で解かれていくところに、冒頭に書いたところの「興奮と、不安とが入り混じったような感覚」がある。これはもしかすると、「呼ばれて」、つまり自分の意志ではない、外的な要因によって決定された行き先まで飛び込んでいくというありようによってことさら強調されていることかもしれず、そのような旅が可能な立場であるのは紛れもなく幸運であるし、その道すじを通して自分自身の膠着した気分そのものに転換が訪れてくれたらいい、や、事実、ここ数年でいまがいちばんエネルギッシュな時間を過ごせていて、これは明らかに旅のもたらした変化だと思われる。
わたしの存在が、行く先ざきで出会う誰かにとってポジティヴな作用を起こすものかどうかはわからない。けれども、これからしばらく、maco maretsの旅は続く。いくつもの地で、いくつもの時間を人とのあわいを往復するなかで形成されるものはやはり、以前書いたように「喜びめいた」ものであってほしい。
や。しかしそのためには、まずはなにより素敵なパフォーマンスを披露できるようにならなればなるまい。旅の意義なんてものは、ある目的を達したのちに語るべきことかもしれない。
おしらせ
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