#43 左のほっぺが痛むわけ(All-New Sandwiches)

左頬のあたりがずきずきと痛んで、ああ! おそらく親知らずによるものだろうと気づいたまま放置していたのだけれど、これがなかなかおさまらない。なにか重量のあるもので殴りつけられるような痛みが断続的に顔を出しては隠れ、顔を出しては隠れ……つきまとっている。

これまでも何度か同じようなことがあった。親知らずがちょっかいを出してくるのには周期があるようで、その法則まで特定したわけじゃなし、ただある時期になるととたんに鈍い痛みを覚えはじめる。もう6、7年ほど前だろうか、一度あまりの堪えがたさから歯医者に駆け込み、そのときは右下の親知らずを抜いた、もといドリルで砕いて「切除」したといったほうが正確か、ばっちり横向きに生えた頑固者のそれを取り除いたあと、1ヶ月以上も術後の腫れと痛みに襲われ(つまり抜いたら終わりというわけでもなく)、つらい思いをした。

何がつらいかといえば、もちろん腫れ・痛みそのものとか、ご飯を食べることもろくにできないとか、さまざまあるが、ラッパーとしてのパフォーマンスがほぼ不可能に近くなること、わたしにとってはそれがもっとも大きい。ライブはもちろん、自身の作品・案件とわずあらゆる制作作業だって歌わずにはなかなか進行できぬものだし、つまり「歌えない」とはほとんど「何もできない」のと同じだ。親知らずの切除は、maco maretsとして1ヶ月近い活動停止をそのまま意味するのである。

先に書いた5、6年前は何も知らなかったから、直後にライブの予定を入れていた。結果、とても歌えるような状態ではなく(なんせ、ガーゼを噛んでいなければいつまでも流血し続けるときた)急きょ出演をキャンセル、周りには多大な迷惑をかけてしまった。

正直、maco maretsの活動予定がないならばさっさと抜いてしまえばいい、というか抜いてしまいたいのが本音である。腫れと痛み自体は、一過性のものだ。

しかし、今度はまたライブ出演の予定もある。いまは口を腫らしてはいけない、歌えないとまずい、そんなタイミングがつづくからこそ、なかば避けられない「活動停止」期間をどこに置くか決められずいるのだ。だから、左頬の痛みは我慢しながら、そのうち気にならなくなるさ、と嘯きながら、知らんぷりでいる。このままやりすごせるなら、それに越したことはない。そう思い込むようにしている。

や、だが「歌えないとまずい」とは、誰にとってだろうか? maco maretsを応援してくれる人にとって? ほんとうにそうだろうか、違うのではないか。「まずい」のは他の誰でもなく、自分なのではなかろうか。

ほんとうは1ヶ月くらい音楽のことを忘れたっていい、口を開かず黙して過ごす時間があってもいいはずだ。それで困ることもそうそうない(のんびりした分、音楽活動によって得られる報酬は減るだろうけど)、はずなのに、もしかして「遅れをとりたくない」、「時間を無駄にしたくない」など、せっかちな焦りを燻らせてはいないか。

はやく新しい曲を作らなきゃ、そんな考えがよぎるたび、自分がある速度に慣れてしまったがゆえに減速できなくなっているような、高速道路のうえ、出口を失ったまま車を走らせ続けているような。身勝手で不幸な事実を発見した気分になる。

maco maretsは基本的に1年に1作、必ずアルバムをリリースしている。それは誰に言われたわけでもなく、ただ自分に課したミッションだ。作品作りは好きだし、曲はどんどん書きたい。ただしその作業は際限なく伸び縮みするものだから、ひとまず区切りをつける……先週も書いたところの「有限化」の一手段として、「1年に1作」パッケージするというフレームを設けている。

書けるときも、書けないときも、作り続ける。実際の楽曲の質や評価といったものは、自分でどうこうとコントロールできるものでもない。「作り続けた」その事実の蓄積だけが、かろうじて信用に足るものだと考えている。だから、ウイルス禍においてライブ活動がストップしたときもアルバムの制作・リリースは継続した。止めることができなかった。

たった1ヶ月でも「歌いたくても歌えない」状態になることがこわい。それは歌う喜び、作る喜びが損なわれること以上に、これまで自分が守ってきたペース、速度を維持できなくなることへの恐れかもしれない。根っこまで掘り出してみれば実は、maco maretsとか、音楽と関係のないところの。

そういえば、今年の8月にはコロナウイルスに罹患し約2~3週間の休養を余儀なくされ、その後1ヶ月は咳の止まらぬ日々が続いた、そのときの気分の落ち込みようといったらなかった。……おそらく自分はとても臆病な人間なのだ。かろうじて己の生活を担保している習慣が、さまざまなイレギュラーによって脅かされたとき。どうしようもなく怖気付いて、なにも考えられなくなってしまう。避けられないとわかっていて、変化を拒んでしまう。

そんな防衛反応が親知らずの抜歯をためらわせているのだとしたら、それによって消せずつきまとう頬の痛みは、ある意味では己の抱える恐怖感……から逃避している事実、をそのままに体感させられているようなものにも思える。もちろんこのまま放置していても、あまり良くない結果を迎えることはわかる(歯並びにはすでに悪影響が出ているし、虫歯の気配も感じるし、さんざんだ)!

膠着した我慢比べは、続く鈍痛は、自分の意地とへっぴり腰をどうにかするほか消し去る方法はない。つべこべ言わずに歯医者に行けよ、と思われたそこの御仁。実を言えばまったく、その通りであるがーー。


おしらせ

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