【B.N.8】はかどらぬおかたづけ(2020.4.16)
(この記事は2020年4月16日に投稿した内容をそのまま再掲したものです)
あたりめをかみかみ家におりますと「もう何も考えられない」脳みそ停止タイムがふと訪れる。みなさんも経験ございませんか。わたしの場合はそうなると曲の制作も読書も書き物も、いっさい手につかんくなって大変であります。でもねむたいのとはまた違うのよな、ただ頭がぎしぎし言って動かんわけで、こんなときはもう掃除・洗濯・皿洗い、などなど、もくもくと手を動かす作業にかぎります。
であってもしがない25歳ひとりぐらしのワンルーム、それらの作業なんてものの15分もあれば終えてしまう。そこでひとつ考えたブランニュー・プロジェクトがずばり「書棚の整理」なのでした。どんなもんやか。
わたしはこの四半世紀、本に関してはいくらでもお金を使ってよいという自分ルールのもとで生きております。なぜかって本こそもっとも素敵なメディアであると信じてやまないから(その理由はまたいつか)なのですけれど、その結果がイケアの書棚から溢れ出して作業机や床を侵食するタワー&タワー! うちの何割かは読んでもないたぐいの、文字通り積本っちゅうもんで悪辣です。未読の本の山というのは非常におごそかなプレッシャーを放っておるもんでね、キッと睨まれ身がすくむ思い。それでもいらない本は売るなり捨てるなりして、さっぱりしたろうとそういう決意よ。
思い起こせば7年前、30冊程度のお気に入りだけもって上京したはずなのだった。いま千にも届きそうなマイ・ライブラリ、これらのうち、これから読みかえすものは何冊あるのかしら。多くは二度と開かれぬものではないか? でもでもふっ、と手に取る瞬間がくるやもしれぬし、捨てるにゃあまりにしのびなし。
人体の指先まで神経系がかよっているように、蔵書の一冊一冊に多少なりの感傷がはさみこまれておるわけで、それをバサリと切り落とすのであればとうぜん痛みをともないます。そこでこんまり先生のいうところの、ときめかないものを捨てる断捨離術はどうにもうまくいかん気がする。本に限らずでありましょうが、ものには当然、かつてあった過去のときめきや、ひるがえって未来に仮託する種類のときめきもございましょう。無下には扱えないよな、そうよな。
なんて、数段落前の決意はどこへやら……前置きだけで今日の文章が終わりそうなのでここまで読まれた方は「捨てる気ないやんか」とお思いでしょうがお待ちくださいませよ。ときめかないものという基準ではたしかに難しいのですが、じっさいパラリと読み返してみて、「言葉づかいが好みじゃない」という感想の本はポイできる(かもしれない!)ことに気づいたのだ。
ときめきと何が違うの、と言われればこれがまったく趣を異にするわけで、これはわりと上ッ面の話なのです。忌むべき表現だと思います、けれどあえて思いついたままに申せば言葉の顔採用とでも言いましょうか。読む上では心根がよいだけでなくやはり素敵な言葉づかいであるとうれしいので、そうした基準を検討しているわけであります。さあどうだ!
いっこうにはかどらぬ書棚のおかたづけ、その進捗はまた。