#19 続・ムーンダンサー
藤原さくら氏との新曲『Moondancer』を紹介した先週のエントリは多くの反響をいただき(ふだんはと言えばほとんど誰にも触れられず流されている本ブログ『All-New Sandwiches』であるからして)うれし恥ずかしすこし恐ろし、混ぜこぜmixな心持ちであった。気付けばこの連載もはじまって5ヶ月弱になるけれども、告白すれば「誰かに読まれている」意識がだいぶ希薄になっていたようで……、ええ、おのれの手で編んだ言葉が衆目に触れる・評価されるということに伴うとくべつの緊張、胸をざわつかせるそれをようやく思い出したんである。加えてもちろん、読んだ感想をもらう喜びも(SNSでは好意的なコメントを多数いただいた)。じっさいのところ、さくら氏の影響力なくしてはこれほど広まることもなかっただろう。ありがたい。
してそんなどぎまぎする胸を抑えつつ、今週も件の『Moondancer』、とくに前回は触れられずいたミュージックビデオについてかんたんに書きつけておきたいと思う。よければお付き合いをば……。
※maco marets & 藤原さくら『Moondancer』(Official Video)
視聴リンクはこちら→https://youtu.be/MbvpaWiuPIw
今回のMVはこれまでも『Summerluck』『D.O.L.O.R.』『Nagi』ほかmaco marets作品の映像を数多く手掛けてきたディレクター・ウエダマサキ氏が監督してくだすったもので、さくら氏、わたしmaco maretsの両名に加えて登場するふたりの「ゴースト」と、それらを映し出す16mmフイルムのやわらかな質感が印象的である。
この企画は、楽曲とあわせて前回の記事で引用した制作メモ(「自己と他者との関係、 ひいては知覚できる世界のすべてが 揺れ動く〜」ではじまる長々としたアレ)をウエダ氏にも共有し、映像のイメージをすり合わせるところからスタートしたが、内容の決定にはそれなりの時間を要した。
曲中で歌われる「ゆれうごく自己と他者との関係性」を、映像としてどのように表すことができるのか? 制作期間や予算との兼ね合いにくわえて、多くのファンに愛されている「藤原さくら」そのイメージや世界観を損ねることなくmaco maretsの映像シリーズに合流させる必要もある。
当初はさくら氏、maco maretsの両名はいっさい登場せず、楽曲のイメージに即したモデルを主演に立てる(実はmaco maretsのMVの多くはこのスタイルである)アイデアが先行していた。しかしさくらサイドからの「せっかくの共演作品であるしふたりの顔が見られる方がいいだろう」との口添えもあって本人出演が叶うことになり(こちらとしては多忙なさくら氏の参加は難しいのではと半ばあきらめていたので、願ってもない提案だった)、いくつかの案を吟味した結果、最終的に「本人出演カット+ゴースト」を「全編16mmフイルムで撮影する」企画に落ち着くことになった。
手元のMV企画書を読み直してみると、ウエダ氏による「此岸と彼岸、その狭間にいる、『霊(=魂)』をモチーフに。」との一文がある。そう、ゴーストとはまさに此岸と彼岸……生と死、どっちつかずの「さまよえる」存在であり、それは決して固定できない「わたし」と「あなた」との関係性や、曲中で示されるさまざまな二項(「遠い/近い」「短い/長い」、あるいは「朝/夜」などなど)を表すのにぴったりなイメージなのだった。ときに躍動しときに静止する、シーツをかぶったこの「なにか」の存在が、映像としてのおかしみ? ただそれだけには留まらぬ奥行きを、『Moondancer』という楽曲と共鳴するひとつの物語をもたらしてくれたことは間違いない。
しかしこのゴーストたちの愛らしさといったら! ホソノアカネさんによるキュートな造形にくわえて、ゴーストの「中の人」として参加してくれたふたりのダンサー……RITAさん、SHIOさんの力なくしてはこのゴーストをゴーストたらしめることはできなかっただろう。一部悪天候に見舞われた過酷な撮影環境でも、最後まで楽しそうに演じてくださった姿が印象に残っている。白眉である中盤〜終盤のダンスシーンほか、ふたりの登場カットは 一挙手一投足まで注目してもらいたい。
でもってそんなゴーストたちの物語と並行して映し出されるのが本人出演による歌唱シーンなのだけれど、ここでのさくら氏といえば、ああ、わたしは撮影中ただただぽかんと見物していたのだが、彼女の存在によって場がかろやかに華やぐというか、フイルムをまっすぐ突き抜けて風を吹かせるような、心地よさをまとったその佇まいに歌声と同様の感慨を覚えたし、『Moondancer』という楽曲とそのMV、どちらも「藤原さくら」その人がいなければ決して完成しなかったであろうということを強く(!)確信したのだった。序盤〜中盤の静かな横顔と、ラストシーンで見せるはにかんだ笑顔と……この両面がまた、わたしが制作メモで書いたところの「喜びにも絶望にも与しない」態度を表しているようにも思えて(それは勝手な印象だけれど)、素晴らしかった。
先述の通り今回のMVは全編16mmフイルムで撮影されている。撮影者の意思や操作を離れたところでノイズが生じるし、そもそもちゃんと撮影できているかどうかすら現像するまで定かではない……ある意味で非常に「ままならない」手法である16mmフイルムだからこそ、計算づくでない、自然な表情を映すことができたように思う。そして、そんな不確かさを内包した画面でなければ、再三繰り返してきた「ゆれうごく自己と他者」のイメージは表せなかったという気がしている。
逆に言えば、デジタルと違って現場での確認や撮り直しもほぼきかない、ミスの許されぬ状況であったわけで(フイルムはとても高額ゆえ、無制限に撮影することはできないのだ)、そんな条件下でも臆することなくパフォーマンスしてくれたさくら氏……もちろんゴーストのふたりも……には心からのリスペクトを送りたい 。
また同時に、その美しい画面をつくりあげるために尽力してくださったウエダ氏をはじめとする撮影チームのみなさんには感謝してもしきれない思いでいる(もう! わたしには感謝の語彙が決定的に欠けていることを痛感せずにいられない……)。16mmでの撮影は決してかんたんな作業ではない。二日にわたる撮影のあいだ、多くの方々がmaco maretsの作品づくりに関わってくれていること、その喜びをひたすらに噛み締めていた。
ほんとうはいちカットいちカット取り上げて撮影の裏話など紹介したいところだけれど、願わくばそれはウエダ氏ほか参加してくれた面々と一緒にどこかで語り合いたい気もして、というかそんな企画を考えてもいて、なので詳しくはまた別の機会に譲りたいと思う。
や、そもそも 楽曲にまつわるあれこれを一から十までテキストのかたちで表そうというのも叶わぬ話なのだ。先週から書き連ねた記事群はあくまでスナック程度に楽しんでもらえればそれでよく、絶対的な「聴き方」を示すものではないことを最後に付記しておく。
とかく『Moondancer』という作品が少しでも皆さんに届き、愛してもらえるならばそれ以上の喜びはない。感想など、よければ(どこかで、こっそり)きかせてください。