【B.N.9】にじませ感慨照射角(2020.4.17)
(この記事は2020年4月17日に投稿した内容をそのまま再掲したものです)
なかなか片付かぬ書棚を前にするとひさしぶりに手に取る本などもたくさんあって、そのときどきに抱えたmoodでもって選んだのよなあ、と前回も申しました通りの感慨が、豆電球のごとくぽつ、ぽつ点滅するようであります。そのラインナップは一見ばらばらのようでいて、わたしだけに見えるグラデーション模様を描いていたりもしてまことキメラチック、でもたしかに己自身をうつしたような、息づかいを持ったゴーレム的なにかなのですね。それらとは神経までつながっていて……。
適当なことをつづるばかりで、いぜん片付けを進める気がないとお思いでしょう。いいえ! もちろんその決意は絶えませんが、ぼんやり見やるにつけさまざまな思い出がたちあがり、たちあがり、そうだこの書棚も7年間東京での生活をともにしておるのだったねと、感慨の照射がずれこむのもやむなしなのでございやす。
くだんの書棚ゴーレムは部屋の南側(あいかわらずやかましい隣人側!)の壁に座り込んでいます。もとはといえば縦長の書棚だったはずなのに、いまは横倒しにして使っている。
飾り気のいっさいない真っ白な板でできたイケア製のそれは、上京してすぐのころ親戚のおじさんと一緒に千葉県の「IKEA Tokyo-Bay」まで買いに行った。当時は長い電車移動に慣れておらず、せいぜい片道1時間程度の距離感であるのにとても疲労した覚えがあります。大きなダンボールをなんとか部屋まで運び込み、いざ組み立てようとした段になって、おや! おそろしい事実が発覚しました。
おうちゃくして適当に採寸したものだから、高さが部屋に合わないのです。がりがり天井にこすれてしまうありさまで、これは部屋の天井が低いのんか、それとものっぽすぎる書棚を選んでしまったのか。目採寸で買うのが悪いが、しかしわざわざ千葉から持ち帰ったこの書棚 、返品するのもこころぐるしい。どうしたものか。
かくなるうえは、とわたしとおじさま、顔を見合わせてノコギリを手に取りぎこぎこぎこ、余分なはじを切り落としてやりました。ああ、でも考えてみればここでもおうちゃくしたのだね! たしかに壁に立たせることはできたのだけど、あきらかにゆらゆらと安定しないのだった。
それから4年間、ゆらゆらを蔵書の重さのバランスでごまかしごまかし、立てて使っておったのですが、今の家に引っ越したタイミングでエイヤッと横倒しにしてもうた。横向きになればどっしりと安定もするし、仕切り板が使えなくなるけれどそのぶん余計に本も入る。東京は地震も多いですから、すこしのマグニチュードでも不穏なゆらめきをみせていた縦向きスタイルより、よっぽど落ち着いてよかったのです。
来年には今の家を出ようと決めているのですが、8年選手となるこの書棚を連れていこうかいかまいか、とても迷っています。しっかり採寸して、新しくばっちり部屋にはまるものを買うのもよい。けれど7年前の、のこぎりの切り傷をもった不恰好なこの書棚がどうにも愛らしく、捨て置けないものに思われるのでした。かくもイージーに、感慨はにじんでゆくのだね。