#21 ロケットエンジン、トカゲのしっぽ
先週はずるをしてしまった。ちょうどアルバムリリース情報の解禁日というタイミングだったので、おおよそのインフォメーションを載せるだけで記事を終えるという暴挙に出たのだ(ついでに告知ツイートもさぼった)。気の利いたコメントのひとつやふたつ添えることができればまだよかったけれど、パソコンに向かってもなにひとつ言葉が出てこないばかりか、目の奥がずきずきと痛むような、書くことに対する忌避感が身体の不調となって現れてしまったようで(その「忌避感」そのものには大した理由はないと思う。ただ面倒くさいというだけで)断念した。毎週「書けなくてもなにか書く」というのが自身に課した決め事だったのに、ちょっぴり情けない。
アルバムが形になるまでは、具体的な期日とそれに向かう作業があったおかげでそれなりに慌ただしく過ごしていたものの、入稿を終えた時点で気が抜けてしまい、どうにも地に足つかぬ感覚のまま来週の配信リリースを迎えようとしている。結局は制作の過程こそにある種の充実というものがあって、一応の「完成」をみて作品が自分の手から離れてしまうと、その行方はもはや預かり知らぬところ……言ってしまえば他人事のようでもある。もちろん、作品を聴いてもらうためにはむしろ完成後のプロモーションこそが肝要なのだし、ぼけっとしている間にPR企画のひとつやふたつ考えてみろよ、と焦りに駆られる瞬間が日に数回は訪れるのだが、しかし大半の時間はやはり「ぼけっと」過ごしているのだった。
これは世に言う「燃え尽き症候群」というやつか? それを謳うほど何かを燃焼したような感覚もないのが本音だけれど、とまれ、つい先日まで自らを駆動していたいちエンジンを喪失したことは確かで、思い返せばアルバムを作るたび・「完成」させるたび、同様のがらんどうな感覚に襲われていたような気もしてくるのである。
昨日までの自分とはなにかが切れたような感覚。エンジンの比喩をなぞると、宇宙ロケットが段階的に船体の一部(ロケットブースター)をパージしつつ上昇していく過程を連想する。燃焼を終えたエンジンは切り離され、はるか下方の海面に落下し、そして二度と戻らない。ロケットはそのまま、ぐんぐん上昇速度を上げていく……。
と、ここでロケットの例えはおのれの感覚とズレていることに気づく。「完成」したアルバム(しつこいようだがどこまでも、鉤括弧つきの「完成」である)がロケットブースターであったとしてたしかに、パージを繰り返すたび、つまり作品を世に問うたびに得られるような種の高揚感については認めるけれど、それは果たして垂直に上昇していくような、ポジティヴさを持続的に指向するものやろか?
むしろ、限りある「エンジン」を切り離してゆくたびに推力は衰えているのではないか、バランスを失いあらぬ方向に流されているのではないか。気づけばぐるぐると同じ場所を巡り続けているような、諦めの混じった徒労感。それはわたしだけの特別な感覚でもなんでもなく、閉塞の一途を辿る時代において誰しもが抱える宿痾のようなものかもしれない。ロケットのように、愚直に上昇し続けた先に何があるというのか。わたしたちは疑わずにはいられない。
「切り離し」からもう一つ連想するものがある。我が家でも飼育しているヒョウモントカゲモドキなどのヤモリや、トカゲたち爬虫類が行う「自切」、いわゆる「しっぽ切り」というやつだ。彼らは、鳥や猫などの外敵に襲われたとき、自らの尻尾を切り離し「おとり」にすることによって相手の注意を逸らし、その隙に逃走するのである。切り離された尻尾はしばらくのあいだぴくぴくと動き続け、身代わりとしての役割を立派に果たす。
なんだか、自分の作品はロケットブースターよりもトカゲのしっぽに近いようにも思えてくる。己の生存のため、世に放り出す「おとり」、デコイとしての「maco marets」。(少なくともしばらくのあいだ)まるで生きているかのように振る舞う、自走するオルター・エゴ。それはなにより、逃走のための手段である。逃げ出すって、いったいなにから? 己を取り囲み「生きろ」……いや違う、「死へ向かえ」と要請する一切の空気圧からか。
でも待てよ、そうなるとロケットの比喩もあながち悪くないのかしらん。地上のあらゆるくびきからのがれ、大気圏を脱出するだけの推力を得んとしてエンジンを燃やし続けるわけだから。ゆくさきは宇宙。どこまでも抽象的な場所である。「宇宙、そこは最後のフロンティア」。たしか『スター・トレック』にそんなフレーズがあった。本当だろうか。フロンティア。つるっとした、なにか無機質な薬品のような響き……。
思いつくままにキーボードを叩いていると、それこそ堂々巡りの感覚に苛まれる。一週間後にリリースされる新作『When you swing the virtual ax』これがいったいロケットなのか、しっぽなのか、判別はつかないけれど、なんにせよそれを切り離したのち己をどう駆動するのか、いまは「ぼけっと」考える時間なのかもしれない。次なるエンジンに点火するのか。トカゲのしっぽは自切してもまた生えてくるが、骨は再生しないのだという。「切り離し」の代償に、なにが失われているのか。
新作のタイトルには「virtual ax」という単語を使った。「ax(=斧)」とは何かを切り離す、断絶を生む道具である。それはつまり逃走(あるいは闘争)の道具にもなりうるのではないか。しかし同時に、切断の容易でなさをもわたしたちは知っている。切り離せるという幻想。切り離せないという幻想。あくまで「virtual」であるのはそういう意味だとも言える。虚ろの斧を振り下ろすとき……When you swing the virtual ax、一体なにが生じるのか(やはり逃走するだけのわたしなのか)すべては確かめるため、この胡乱な手つきでもって曲を編み続けている。
(や、もっと来週の新作リリースを楽しみにしてもらえるような文章を書ければよかった。梅雨入りの六月、頭のなかも曇りっぱなしであるがもちろん、このリリースに際して得がたい喜びを覚えている、それは真実である。とかく! ぜひとも期待して待っていただけたらと思う。)
おしらせ
・最新アルバム『When you swing the virtual ax』6月15日(水)配信リリース決定
詳細はこちら→https://www.macomarets.me/blog/20
・連続配信シングル第6弾『Moondancer』好評配信中
配信はこちら→https://linkco.re/Y03ArgVb