【B.N.12】もしもわたしがピッチャーならば(2020.4.20)
(この記事は2020年4月20日に投稿した内容をそのまま再掲したものです)
またあたらしい週がはじまります。いまだ空白ばかりのカレンダー、それを見つめながらぽかんと机にすわる朝のわたしです。おおげさかとお思いでしょうが、ふわついた毎日のなかでこのnoteの更新だけがいかりをおろすような、ほんのわずかな感触を与えてくれておる。しっかり早起きもできているし、書くことであたまもすっきりした状態で一日をはじめられるし、そのあたり、よいことずくめなのでした。すてきやん。
んでもなお同時に、ていねいにことばをつづることの難しさを痛ゥ感しています。日記なんか三日坊主で続いたことがなく、毎日まいにち必ず文章を書くというのは25年生きてはじめてのこと。われわれSNS、TwitterやらInstagramやらにつぶつぶのことばを呼吸がごとく発しておりますが、あれはやはりこんまい粒子、糸くず端切れくらいのもんです。しっかりとした手ざわりのある布を織ろうとすれば、相応の強度を生むための技術体力集中力、もろもろもろもろ、おおよそ自分に欠けていると思われるパワーが必要なのだと思わされます。この「Sandwiches」に気負うほどの重大さや文量はないと、それは前提としてありますけれど……。なんて言い訳やあね。
わたしは「Rapper(カタカナで書くのはあまり好みません)」を自称し、現在のmaco maretsという名義では4年間で50曲ほどの楽曲を世にリリースしてきました。多くの楽曲にはとうぜん歌詞があり、おのれで書いたことばを声に出して歌っています。これらは、SNSのことばとは違う、このnoteの文章とも違う、小説や、詩のことばとも違う、まさにうたわれることばとしての肌理をもつものです。
あくまでわたしの場合、と前置きした上でいえば、書かれるRapのことばはある種の無責任さをはらんでいると感じます。なぜか、おおきな理由のひとつは音楽であるからです。「なにをまたしたり顔で当たり前のことを」と言われましょうが、あるサウンドの上でうたわれる以上、ことばがその影響を受けないわけはありません。
バックトラックの力はまこと偉大であって、ある意味ことばのジャンプ台としての機能をたぶんに果たしている。イメージの飛翔をおおきくおおきく手助けしてくれるのです。もっといえばその飛翔の方向すらさだめてくれる、決めてしまう。
同じ歌詞のことばでも、バックトラックが変わるだけでまったく違うニュアンスに響くことがあるでしょう。Hip Hopでもよくあるリミックスという種類の楽曲には、このような面白さも含まれているとわたしは思っていますが、ようはトラックの側にイメージの手綱をにぎられていると、そんな感じがします。よくもわるくも、ことばだけによって受け手の印象がきまるわけではないのよね。
ここに、先に書いた「ある種の無責任さ」が生じるのです。バックトラックという強靭なジャンプ台、ロケットブースター! を手に入れたわたしにとって、その安心感は絶大たることこの上なし。ノーコンでも、放り投げたことばの飛距離はぐぐーーーーっと伸びてくれるので、好きにピッチングができちゃうのだ! この感覚、伝わりますでしょうか。
明日ももう少し、この話のつづきを書いてみようと思います。
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