【B.N.13】七リーグブーツをはいて(Sandwiches / 2020.4.21)

(この記事は2020年4月21日に投稿した内容をそのまま再掲したものです)

うたわれることばのある種の無責任さについて、これまた無責任に書き散らしたまま終えた昨日のつづきであります。バックトラックの力を借りたとき、ことばのもつイメージがどびゅーんと大ジャンプするのだ! とそこまでお話ししました。ここで、Rapperとしてのわたしのことばはその作用にもたれっぱなしであると告解したい。

おそらく、maco maretsの楽曲を聴いたことのある方ならわかっていただけるのではと思います。多くの楽曲において、その歌詞は直裁な物言いをさけているばかりか、イメージの周辺をふらふら彷徨うあいまいなフレーズの連続であって「適当に言葉を置いておくから、あとは自分で勝手に感じておくれえ。へらへらへら」とそんな様相です。つかみどころのないアトモスフィアを、ふろしきでもって包んでどうぞ……なんとまあチャクいこと!

もちろん意識的にこのような言葉づかいをしているつもりではありますが、それにしたってこりゃ粗雑で自己中心的な態度と言われても仕方がない。つぶやくような歌い方もあいまって「何を言っているのかわからない」とはよく言われる批評ですがまことおっしゃる通り、わたしとしてはグウの音も出んのであります(ここで己の曲を貼り付けることもできますが、やめておきます。ぐう)。

くわえて白状すれば、わたしのチート・アイテムはバックトラックだけにとどまりません。たとえばRapのことばには押韻というゆるやかなルールめいたものが存在しまして、まあ様式美とでもいいましょう、多くのアーティストが当たり前のように歌詞に取り入れておりますね(もちろん押韻はRapに限って使われる修辞法ではありません。くわしくは上に貼ったリンクへどうぞ)。これはRapの歌唱をリズミカルかつ印象的に響かせる効果をもたらすもんですが、それだけではござらん。

この押韻を意識して歌詞を書くさいには、ふつう接続しないような、トッピな方角からことばが取り出されることがあるのです。どういうことか。

つまり、あることばを前にして「これでどんな風に韻を踏めるかな」と次に継ぐことばを探すわけで、そうするといわゆる散文的な、前にあることばと地続きなイメージの連なりからひょいッと抜け出すことができてしまうのだ! まさしく、音がことばを選ぶひとつの基準になるからであります。

これが繰り返し言っておる「イメージのジャンプ」の一種であることは疑いようもなく、バックトラックの効果とあわせればさながらダブルスプリング状態。びょんびょーん、とホッピングはさらに加速して、セブンリーグブーツでも履いたようにイージーに(その気になりさえすればどこまでも)遠くへゆけるのだな。

すてきな詩を書かれる方は、このジャンプを無意識的にやってのけておるのだとわたしは思います。じぶんの場合は、やはりこの押韻の力をも借りた上で、えっちらおっちらことばを飛ばしておると、そういうことです。

そんな魔法と離れてことばと向き合ったとき、どんな顔でおれるのか? 考えはじめた昨日から、今日はすこし寄り道してしまいました。また明日。


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