【#9】雪蹴る彼は【Sandwiches'25】
春がきた、あったかいぞ、と喜んでいたのに、また寒気がぶり返してきたものだからたまらない。せっかちだったのは自分だろうか、季節のほうか。無情なほど、今日の風は頬に冷たい。
駅前の待合広場で、少年が道に積もった雪を蹴り散らしている。足元だけをじっと見つめ、スニーカーのつま先を振り上げては、また蹴る。蹴る。蹴る。雪は放射状に、遠くまで飛び散る。周囲のことはあまり目に入っていない様子。往来の多い場所である。人々はそっと、少年の蹴る雪を避けるように歩いていく。声をかけるものはいない。
少年も、さすがに目の前に誰かが来れば蹴り遊びを中止する。しかし、その誰かが行き過ぎるかどうかといううちにまた足を振り上げている。雪は宙を舞う。その飛距離を伸ばそうと必死なのだ。だんだんと、彼の足元の雪は崩れ、溶け出し、水っぽく泥と混ざりあう。それでも蹴り続ける。半ばみぞれか、水飛沫のようになったそれが、ぱしゃ。音を立てて飛ぶ、軌跡が地面に残る。
乗るつもりのバスがなかなか来ない、わたしは手持ち無沙汰で、なんとなく近い場所からじっと雪蹴り少年のことを見つめている。保護者らしき人間の姿を探したけれど、近くにはいない様子。彼はたったひとりで、飽きる様子もなく足音の雪と戯れている。いや、もう飽きた? 何かを待つのに飽きた結果だろうか、この遊びは。笑っているわけでもない、子供らしい無表情で、頰は冷たい外気に触れて、赤らんで。
わたしの視線に気づいたのか、彼はひとときこちらを見て、またふいと顔をそらすようにする。咎めるような視線に見えただろうか。なんにせよ、後ろめたく感じさせたらよくない。わたしはまた、怪しい人物に見えないよう努めて冷静に、自然な動作で目を背ける。ぱしゃ。まもなく雪蹴りは再開される、背中に音が当たる。
少し離れたところで、少年の真似をして足元の雪を蹴り上げてみた。ぱしゃ。冷たい。スニーカーのメッシュ地から水が染み込んで、靴下が濡れる。一度で十分だった、こんなことを繰り返していたらすぐに足がびしょびしょに、凍えてしまうに違いない。彼は、彼のスニーカーは防水なのか。スノーシューズや長靴のようには見えなかったけれど。なんにせよ、誰もが雪蹴りの資格を持っているわけではないのだった。
濡れたつま先が冷える。こんな日は暖炉の火に当たりたい、寒い時分には決まって実家の薪ストーブが頭によぎる。たっぷり雪の積もった日には、手が霜焼けで真っ赤になるまで遊んだ。だるまも作ったし、投げ合いっこも、弟と。凍えた体を暖めてくれる、あの火の存在があったからこそ、気兼ねなく雪まみれになれたのだ。家に帰ったら、夕食の声が掛かるまでずっと暖炉の前に座っていた。かじかんだ手をあたためながら、ゆらめく火をじっと見つめる時間が好きだった。
そうだ、危険なようでも、幼いわたしにとって火遊びは何より魅力的なものだった。暖炉の脇やベランダには、材木店から譲ってもらった大小さまざまな形の木切れが積んであって、それを好き勝手選んで燃えているなかに突っ込む。形や、木の種類、乾き具合によっても燃えるスピードや火の勢いが変わる。匂いや音、その色も。変わらないことは、ただひとつ。どんな形も、燃えて、最後は灰になること。それだけだ。燃焼。シンプルな結果をもたらす火の現象が、やたらと美しく見えた。
たまに、燃やしてはいけないもの、プラスチックやゴムなんかを焦がして、怒られることもあった。それらは大抵、火に入れるとひどい匂いがするし、嫌な音を立てる。やはり木か、紙の類が気持ちよく燃えた。
お気に入りはこんな遊び。木切れと紙を組み合わせて、なんとなく建物のような形を暖炉のなかに作り上げて、火をつける。燃え上がるミニチュアの舞台。炎に照らされて、壮大なジオラマ・ボックスが暖炉のなかに完成していく、それをじっと見つめる。燃え盛るその情景に、自分が立っている姿を想像するのだ。ストーリーだって、いろいろ。ドラゴンの潜む洞窟、墜落した宇宙船。燃える積み木を、いろんなシーンに見立てることができた……。
そうか。飛び飛びの回想を中断し、わたしは少年を振り向く。彼はまだ、雪を蹴り続けていた。ぱしゃ、ぱしゃ、一心不乱に、足を振り上げて。単純に見えるその動作も、彼にとって大きな物語の一部なのかもしれない。足元のぬかるみは大陸と海の模様で、彼はまさにいま天地創造の最中なのだとしたら。だとしても、わたしにはなんの関係もないけれど、だからこそせめて「通行人の迷惑」などと眉をひそめたり、睨みつけたりするのは止すべきなのだ。両親が、わたしの火遊びを安全な範囲で許してくれたように。彼の夢中を妨げないために。
あるいは皆、それをわかっていて注意しないのか。急に狭量な自分が恥ずかしくなる。子どもなのは、わたしも同じかもしれなかった。
なんにせよ、雪蹴りの意味も、歓喜も、彼だけのものだ。彼は彼自身の手で(足で)祝福されていて、他人の勝手な共感なぞ必要ない。安っぽい回想や、自己投影の対象にされては彼も不本意だろう。それに、濡れたつま先がいよいよ凍えそうだ! もはやここに留まり続けることはできなかった。ようやく来たバスに急ぎ足で駆け込み、その場を後にした。ぱしゃ。その音ももう聞こえなかった。雪を蹴る少年の小さなシルエットが窓越しにゆらめいた、熾火のような残像が最後に見えた。バスの車内は見えない熱に満たされ、暖かかった。(2025.3.8)