【B.N.6】ギルデロイ・ロックハート(2020.4.14)

(この記事は2020年4月14日に投稿した内容をそのまま再掲したものです)

ふと魔法使いにあこがれましてわたし、この #stayhome シーズンに入ってから『ハリーポッター』シリーズの中古DVDを買いあつめ、夜な夜なウィザーディング・ワールドへと旅に出かけておったのでした。ホグホグホグ、ホグワーツ! さくばん最終作『ハリー・ポッターと死の秘宝 part 2』を鑑賞し終わったところでね、その感慨といったらオヤハラリ、たるんだほっぺに涙が伝うほどよ。公開当時(最終作は2011年公開ですって!)劇場で鑑賞済みの作品ではあったのだけど、それでもあらためて観てみるとまったく違った印象をうけた。

 くだんの最終作『死の秘宝 part 2』はさえない男子高校生だったわたしがはじめて挑んだ映画デート、おお、その浮ついた目ン玉で追った最初の映画でもあり、これはハリーのよく言うセリフでいうところの「話せば長いんだ」という種のエピソードであるのですが(このセリフはほんとにずるくて、あらゆる「ちゃんと説明してよ!」ポイントをすぱん!とたたんで進んでしまう)、これがまたいろいろあったので、ロクに頭に入ってもいなかったのだな。「なーんか暗い感じの映画」くらいのイメージしかプリインストールされておらなんだ。オリバンダー? 当時のわたしのぼんくら頭を「粉々(レダクト)!」したいきぶんです。うふふふ。

 みなおした感想は、「とても丁寧につくられた作品だったのだな」とそれにつきます。原作の力もたぶんにありましょうが、10年にわたって同じキャスト・スタッフがひとつのシリーズに向き合った結果醸成された、あまりにも強固な実在感。8本の映画を追っていくうちに、きづけば、登場する魔法使いやクリーチャー、さまざまな魔法道具などが、わたし自身の中でにぎやかに息づいていることを驚きをもって認めることになるのだ(それこそ魔法よね!)。

 だからこそ、戦いの結末を見届けたはての「物語が終わってしまう」という喪失、安堵、恍惚、あらゆる感情のおりまざったmoodがあって……、その重さには涙腺もひらかざるをえんわけよな。

 しかして「魔法は一日にしてならず」といいますか、DVDの特典映像として収録されているメイキング・ムービーなどをみるにつけ、作り手の熱意と同時におそろしい苦労もかいまみえ、こんな長期プロジェクトに打ち込むエナジーとはいかほどのもンか? とぶるぶるふるえた。わたしゃ自宅にいて、ごろりとその魔法を享受するだけのぼんくらマグル、その側なのんか。

 そういえばシリーズ後半、ハリーの意地悪ないとこ・ダドリーがB-BOY風の出で立ちで「ビッグ・D」なるあだ名をふるっているシーンをみて、身につまされるものがありました。ぽっちゃりとしたほっぺなんかさ、鏡の中の自分とそっくりだったから。やっぱりそっち?

https://youtu.be/VyHV0BRtdxo

シリーズ1作目の『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開された2001年、わたしは小学1年生の1づくし。向こうの「1年生」とは年齢こそ違えど、それでも内気なメガネのハリー少年にどこか自分を重ね合わせていたような気がします。


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